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2011年8月 9日 (火)

教科書の歴史をたどる旅(サイドストーリー)

 東京から京都にかけて、この時期は、たくさんの観光客を見かけた。外見はわれわれと変わらないが、近づいてみると、中国語やハングル語を話す人々だった、ということが多々あった。皇居二重橋前にいた団体客は、ほとんどが中国人だった。

 京都では、中国人、韓国人がスマートフォンをカメラにしているのも目に付いた。日本に旅行に来ているのは、いわゆる富裕層と呼ばれる人々だと思われるが、iPadやiPhoneを持つのが、彼らのステイタスになっているのか、どこででもそれを使っている姿が目に付いた。

 

 京都で宿泊したゲストハウスは、ホントに昔の町屋そのままで、ふすま一枚隣は見ず知らずの人という、民泊に近い感覚の宿だったが、そんな宿に、香港から来た家族が泊まっていた。

 共同で使えるキッチンにテーブルがあって、そこで、公文の問題を解いている子どもとその父親(iPadをいじっていた)がいたのだけれど、よく見ると、公文の問題集の文字が英語で書かれている。「Where did you come from?」と尋ねると、「Hongkong.」という返事が返ってきた。 

 少し会話をしようと試みたけれど、自分の英語が貧困だったのと、相手はさらに英語を話せなかったようで、あまりコミュニケーションできなかったのが残念だった。iPadで、日本のサイトを見せようとするのだが、それが何を意図しているかはつかめなかったり(笑)。iPadに翻訳機能って、ないのかな? 

 

 嵯峨野のトロッコ列車の駅で、保津川下りのチケットも売っていて、列が2カ所に分かれていた。どっちに並んで良いのか、すごく迷っている一人旅風の女の子がいたので、「Do you want a train ticket? 」と言ったつもりだったのに、「I can't speak Japanese.」と返されてしまった(苦笑)。まぁ、その後、なんとか意志は通じたけれど、彼女は、トロッコ電車のチケット売り場へ行って、また迷っている様子だった。

 自分たちの川下りのチケットを購入して振り返ってみると、彼女の姿は見当たらず。手助けできなかったのが、ちょっと残念だった。

 

 物怖じしないで、話しかけることはできるけど、やっぱり意志を通じ合わせるには、基礎的な英語力が足りないのだなと、痛感した次第。生きて働かせるには、気持ちだけではなく知識・理解も必要なのだった。

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